深海からこんばんわ

壺があったら入りたい。

独りで居ること

 

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 私は大学に通っているが、常に一緒に居る友人などは存在しない。

 同じ学科と部にいる友人を合わせても両手で足りるほどだ。一年前くらいに大学の近くに引っ越したが、その友人たちを部屋に呼んだのも5回あるかどうかだ。すぐ隣の部屋には高校からの友人が住んでいるが、彼は私と違い友人が多いらしく、2,3日に一回は自分の部屋に彼の友人を呼んで麻雀を楽しんでいる。

 

 私自身はあまり人が多い所が好きではなく、自分の部屋(プライベート空間)に人を呼ぶのもあまり好きではない。学校でも積極的に人の輪に入ろうともせず、大学内の友人も増えることはない。なので、今の状況は自分の望むべき状況であるのは確かなのだが、隣から楽しそうな会話などが聞こえるとすこし羨ましく感じるのも事実だ。

 

 自分自身これを書いていてめんどくさい人間だと思う。結局お前はどうしたいんだと問いたくなる。考えれば考えるほどわからない。本当に独りが好きで、友人を必要としない人間なのか、人見知りで新しい人間関係を作るのが恥ずかしく、独りが好きと自分自身で言い聞かせているのか、どっちなのだと問いたくなる。

 結局、自分自身出した結論は、やはり自分にプライドが高く、周りの人を見下しているのだと感じた。私に合う(ふさわしい)と思う人間が周りには居ないのだと。そして、見ず知らずの人間に自分がどう思われているのかといつも考えている。自意識過剰なのだ。 だから独りなのだと。

 人間関係が煩わしい、大勢が集まる場所が苦手だという感情は事実だと思うが、それを理由に、自分の内面から目を逸らしてはいけないと思う。この性格をいきなり変えることはできないが、少し自分の視野を広げてみたいと思っている。

 

 手始めに、このブログをポジティブな内容に変えていこうかな…。

 

雨雨ふれふれもっとふれ

雨雨ふれふれもっとふれ。

 

ずっと降ってくれ、このままずっと。

 

 気分が落ちるとみんな言うけれど、私は雨が降っていると気分が落ち着く。

 

  だから降ってくれ。

 

     一年中梅雨でいてくれ。

 

 あと、手で持たなくていい傘も開発してくれ、できるだけ早い目に。

シュークリーム(の中のクリーム)が大好きだ。

 シュークリームが大好きだ。というよりも中のクリームが大好きなのだ。

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 シュークリームの中のクリームは大きく分けて二種類があると考えている。生クリームだけと、生クリームとカスタードがブレンドされたものだ。皆さんはどちらが好きだろうか?私は無論ブレンド派だ。コンビニやスーパーなどでシュークリームを買う際に、必ずカスタードが入っているかを確認するほど好きだ。むしろカスタード100%でもいい。カスタードが大好きだ。シュークリームを食べるのはこのカスタードを食べるためといってもいい。シュークリームはその器だと考えている。

 

 こうなると、ただのカスタード好きではないか自分で考えるが、そうではない。私が本当に好きなシュークリームは上の柔らかい生地ではない。洋菓子店などで置いている固い生地のシュークリームだ。

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このタイプが好きなのだ。これでカスタード100%なら文句なしの100点だ。洋菓子店で置いていると必ず凝視してしまう。中に完全に内蔵されているタイプもあるが、口を開けて中のクリームが飛び出しているタイプを見ると、もう、やばい。

私を誘っている魔の口が開いているのだ。このタイプは食べにくく、クリームが飛び出して絶対に綺麗には食べれない。しかし、これが好きなのだ。

 残念なのは、このタイプはコンビニやスーパーではあまり見かけない。いつも柔らかい生地で我慢しているが本当に食べたいのは固い生地だ。カスタードだ。改めて宣言したい、私はシュークリームが大好きだ。

小人閑居して不善をもなさない

 毎日が退屈だ。毎日が変わらない。毎日が空虚だ。毎日がただ流れている。

 

 大学3回生にもなって、将来なりたい職業すら見つかっていない。ただ漠然と建築学科に属しているから建築関係に進もうかと考えているだけだ。何のアクションも起こしていない。

 日々の生活を学校の授業、課題、その後のバイトで潰している。1、2回生の間に取れるだけの単位をとって、今まで一つも落とさずここまで来た。成績も中の上、良すぎることもなく、悪くもない。三回生に取るべき単位もほとんどなく、時間に余裕があるはずなのに、余裕がない。空いた時間で勉学や、新たな趣味をしようと考えるが、頭の中だけで実際には何もしない。毎日本を読もうともした。大学の図書館でいつも3,4冊本を借りるが、一冊も読み切らずそのまま返してしまう。そんな日々。

 

 今日は大阪で地震があった。起きた当時は寝ていたので飛び起きた。ニュースをつけてみると、大阪北部は震度6弱となっていた。まさに震源地の学生寮で住んでいた私からすれば震度6弱は初体験であったのだ。揺れるというよりも下から押される感じだ。

 

 わくわくした。いつも変わらない日常を変えてくれると思ったからだ。ニュースを見てどのような被害があるのかを見た、自転車を走らせて最寄り駅がどうなっているのかを見た、いつも行くスーパーがどのようになっているのかを見た。ふとした時にいつも考えていた、昔から。中学の時は窓から見える山の上を戦闘機が闘うとか、高校の時は教室でいるといきなりテロリストが乗り込んでくるとか、大地震が起きて今まであるものが全て壊されて、新しい街、新しいシステム、新しい人間関係、全てが変わるはずと考えていた。そのような空想が現実に起こったから考えた、何か変わるのではと。

 自分では変わらず、周りの環境が変えてくれるのをいつも待っていた。そうしている間にいつも空想の世界に逃げていた。何かを始めようとして、いつも勝手に諦めていた。

 このブログのアカウントも1年以上も前に作った。バイトが嫌で、楽にお金を稼ぎたいとネットで調べていくうちに学生はブログをやるべしという記事をいくつも見て始めようと考えた。結果は面倒に感じ、諦め、一文字も書かずに今まできた。結果何も変わらなかった。

 「小人閑居して不善をなす」ということわざは最近小説を読んで知った。つまらない人間が暇でいると、ろくなことをしないという意味らしい。妙にこのことわざが頭から離れなかった。その通りと感じたし、少し羨ましくも感じた。何故ならこのことわざで出てくるつまらない人間は、”ろくなことをしない”が、少なくても”ろくでもないことをしている”のだ。私はどうだろうか、つまらない人間だし、”ろくでもないことすらしていない”。変えようとしない、行動しない。一番ダメな人間ではないのだろうか?

 

 変わらない日常を変えたい。濁った淀みの中で漂いながら最近いつも考えている。なぜこうなってしまうのか、わかっているが認めたくない自分が居る。つまらない人間以下のくせにプライドだけは人一倍なのだ。自分が傷つきたくないのだ。落ちたくないのだ。現状維持を小学生の時から続けている。現状維持を続けると下がっていくことも知っているのに。現に小学生の時からの、空想の世界に逃げるのが癖になった。妄想の世界では自分は何でもできる理想の自分だ。漫画家、ゲームデザイナー、声優、イラストレーター自由自在だ。現実には目を当てない。現実逃避をして成人を迎えてしまった。空想の世界が楽しくて現実を放棄してきた結果が今だ。今年こそは!という思いを毎年掲げるだけの結果が今なのだ。

 今年こそは人並みにはなりたいと考えている。大きな地震では何も変わらなかった。周りの環境が変わるのを待つのは辞める。人並みのプライドを持つのも辞める。せめて今年こそは何か始めたい。このブログ記事がその一歩になればいいなと思う。つまらない人間なら、せめてろくでもないことをしようと思う。「小人閑居して不善をなす」、まずはここからだと決意したい。

 

 

 

 

 

※初めてなのと、考えたことをただ吐き出した文章なので構成がめちゃくちゃですみません。